民営化・自由化の波
1981年の創業時に、5年後に売り上げを100億円にすると豪語して従業員にあきれられたという孫正義氏。
しかし創業2年後には、パソコンソフトの卸業とパソコン関連出版で、35億円まで売り上げを伸ばす。
しかし孫氏は重症の肝炎にかかっていることがわかり長期入院のために、社長業からいったん身を引く。
会社の方は、急成長時に良くあることだが、人材流出(いわゆる引き抜き)が起こったり、新たな収入の柱として始めたデータネット事業が上手くいかず、10億円の借金を抱えることになる。
パソコンソフトとパソコン雑誌という、ごく一部のマニアを対象としたビジネスで、10億の負債を抱えるのはさすがに大きなピンチだ。
ところがそこで日本経済は新たな局面を迎えることになる。
世界的な自由化・民営化の流れの中で、政府は三公社五現業(さんこうしゃ・ごげんぎょう)の民営化と自由化に踏み切ろうとしていたのだ。
三公社とは、日本専売公社・日本国有鉄道・日本電信電話公社の三つで、現在のJT(日本たばこ産業)・JR・NTTであるが、これらは政府の収入を安定させる目的や戦争目的で政府が専売していたり、全国組織を維持していたのだ。
しかし米中接近やソ連の経済状況が思わしくないことが分かり、第三次世界大戦のリスクが後退したことによってこれらの事業を独占したり、全国体制を維持する意味が薄れ、民営化と自由化に対する議論が起こったわけだ。
三公社五現業とは
1980年代の日本では、三公社五現業の民営化と自由化論議が起こっていた。
三公社五現業というのは政府が独占する事業や、全国で統一して行う事業の総称である。
明治時代に政府は収入確保や戦争目的のために政府が塩やタバコの専売をおこなったり、鉄道や通信を全国に整備して管理した。
たとえば専売公社は元々、大蔵省(財務省)外局であった専売局がルーツで、塩・タバコ・アルコール・樟脳(しょうのう:傷薬や殺虫剤・防腐剤)を統制し、管理した。
また国鉄も戦争時の物資輸送をスムーズに行うために、1906年(明治39年)の鉄道国有法によって全国の17私鉄を買い取って統合したものである。
明治前半には、全国で大鉄道開発ブームが起こって、日本全国各地で様々な私鉄が建設されていて、その総延長は、当時の官営鉄道の倍以上の距離に登っていた。
それを鉄道国有化法によって、政府は国営鉄道に統合することにしたわけだ。
そしてまた電信や郵便などの通信手段もまた同じく政府が独占して管理し、日本政府はこれらの組織を上手く使い、戦争を遂行したわけだ。
未来学者のアルビン・トフラーによると、工業社会時代のキーワードは
- 標準化(規格化)、
- 専門化(分業化)、
- 同時化(同期)、
- 集中化、
- 規模の極大化
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