孫正義とは、どういう生まれの人なのか?
孫正義(そん・まさよし)とは、ソフトバンク・グループの創始者であり、中国の孫氏をルーツを持つ実業家だ。
佐賀県で在日韓国人実業家の息子として生まれ、ホリエモンも学んだ久留米大附設高校に学ぶ。
維新の志士の一人である坂本龍馬に憧れ、高校を中退してアメリカに留学する。
そしてカリフォルニア大バークレー校在学中にアメリカでソフトウエア会社を始め、日本から中古のインベーダーゲームを大量輸入するなどして儲けたという。
UCバークレーで経済学を修めたあと、日本に帰国。
帰国後は福岡でソフトバンク社を設立し、パソコン・ソフトの仕入れと販売などを手がけていた。
当時はパソコンソフトメーカーは零細企業であったため、そう言う企業から有望なソフトの販売権を一手に引き受けて日本全国のパソコンショップに卸売り販売していたらしい。
ソフト・バンクというのは、ソフトウエアの銀行という意味かな?そして1987年に株式会社フォーバルと共同でNCC-Boxというシステムを開発したところから通信業界に関わることになる。
このシステムは電話をかけるときに、最も安い料金の電話会社を自動的に選んで使うもので、世界初のLCR(Least Cost Routing)システムだという。
これによってソフトバンクは新電電から多額のロイヤリティを受け取り、経営が黒字化し、安定化したという。
孫正義は、なぜ成功できたのか?
孫正義氏は1990年に日本国籍を取得し日本に帰化することになる。
1990年代には積極的に企業投資や企業買収・グループ化を始め、メモリーメーカのキングストンやを買収したり、メディア王ルパート・マードックと組んで、テレビ朝日の買収に乗り出したりした。
世間に孫正義の名前が広く知れ渡ったのは、恐らくこのときが最初であろう。
私なんかもこのニュースを聞いたときに、なんでコンピューターソフトの会社がテレビ局買収に乗り出すのか、非常に不思議に思った記憶がある。
テレビ朝日の買収は、テレビ朝日側の猛烈な反発にあって、結局、買い占めた株を手放すことになってしまうが、同じ1996年には、ソフトバンクにとってエポックメーキングな出来事が起こる。
それはアメリカのYahooに資金提供しヤフージャパンをスタートさせたことだ。
ヤフージャパンはその後、日本の代表的ネットポータルとして認知され、さらにヤフーBBというインターネット・プロバイダ事業も展開し出す。
さらには赤字経営に陥っていた日本ボーダフォンを2兆円もの資金を調達して引き受け、携帯電話事業に進出。
ダイエーホークスから経営権を引き継ぎプロ野球界にも進出して、最近は東日本大震災をキッカケに、発電事業にも参入しようとしている。
在日韓国人として生まれ、九州の田舎で育った孫正義氏は、なぜこのような成功を収めることが出来たのか。
孫正義氏の目の付け所に注目したい。
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